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コンセプト

秋岡芳夫とグループモノ・モノとは?

 

戦後日本における工業デザイン界のパイオニアの一人、秋岡芳夫が「グループモノ・モノ」というデザイン運動体を結成し、活動をはじめたのは1971年のこと。1960年代は急激な工業化が進み、手仕事で作られていた生活道具が大量生産品に駆逐されていた時代でした。

 

「生活用品の画一化、使い捨てが暮らしの根底を揺るがす時代にわれわれは何をなすべきか、とことん話し合おう」と、秋岡氏が提唱。それに呼応して集まったのはデザイナー、クラフトマン、編集者、カメラマン、商社マンなど10数名。場所は東京・中野にあるマンションの一室。別名「104会議室」ともよばれたこの場所は、「組織のしがらみにとらわれず、会議方式による自由なモノ作りを目指す」ために秋岡氏が1969年にもうけました。

 

会議室はやがて交流の場となり、毎週木曜日の夜になると、どこからともなく作り手たちが集まり、「モノ・モノサロン」と称して深夜まで活発な議論がくり広げられました。このサロンがきっかけとなり、モノづくりに関連するさまざまな先進的な試みが1970年代から80年代にかけて日本各地で行われました。

 

プロジェクトの過程でさまざまな商品が生まれ、それらは自然な成り行きとして中野のマンションで展示・販売されるようになりました。事業規模の拡大にともない、1979年に有限会社モノ・モノが設立化され、現在にいたります。

 

しかし、1997年に秋岡氏が死去してからは、その存在は次第に忘れられ、モノ・モノがメディアに取り上げられる機会も少なくなりました。また、モノ・モノが入居するマンションも竣工から半世紀がたち、モノ・モノの運営を長年担ってきた前代表も高齢となり、歴史ある場を維持することが年々難しくなっていました。

 

戦後のクラフト史のレジェンド(遺産)ともいえるスペースを再生し、ふたたび作り手の集まる、活気あふれる場所にしたい――。そんな思いから有限会社モノ・モノは今年8月に社長交代を行い、さらに大規模なリノベーション工事を実施。ソフトとハード両面での若返りをめざします。

 

 

秋岡芳夫
1920年熊本県生まれ。工業デザイナー、木工家。東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)卒業。1953年にデザイン事務所KAKを設立。71年グループモノ・モノを結成。77年東北工業大学教授に就任。81年にドマ工房を設立。82年共立女子大学教授に就任。97年死去。木工や大工道具、暮らしのデザインに関わる著書多数。
 
木造住宅の名手、三澤康彦氏による内装デザイン

 

モノ・モノのリノベーションを手がけたのは、Ms建築設計事務所代表の三澤康彦氏。大阪を拠点に「国産のまっとうな家づくり」に30年以上、取り組んできた住宅設計のベテランです。三澤氏は秋岡氏の理念に共感し、モノ・モノのオリジナルの家具を建築空間に長年採用したきた経緯があり、今回のプロジェクトに名乗りをあげてくださいました。新生モノ・モノの設計ポイントは3つあります。

 

(1)大空間の創出

モノ・モノが入居しているのは、床面積が約100平米ある古い分譲マンション。従来は6LDKの複雑な間取りで、人が集まる場所としては不便な面がありました。そこで今回の工事では内部をスケルトンに戻し、長さ14mの広々と空間を確保。全長4.5mのワーキングテーブル、2台のミーティングテーブルと、ダイニングテーブルを備える、ぜいたくなコワーキングスペースに変貌しました。

 

(2)内装は国産無垢材

三澤氏はみずから地方におもむきて入手した、素性の明らかな国産材を住宅に使うことをポリシーとしています。フローリングには岩手産のクリ材を使用。陳列棚の板から倉庫のパネル合板にいたるまで、すべて国産材を使用しています。同様にオフィス内に設置したテーブルや椅子もすべて国産の無垢材(クリとナラ)で作られています。

 

(3)徹底した断熱対策

マンションは暑さや寒さに強いイメージがありますが、それは近年の建物の話。50年以上前に建てられたマンションは断熱が一切施されておらず、外気温に大きな影響を受けます。今回の改修工事では床と壁の断熱対策を十分に行い、窓サッシュもペアガラスに交換。最新式の業務用エアコン(4馬力)を導入し、一年を通じて快適なオフィス空間を実現しました。

 

三澤康彦
1953年大阪府生まれ。1985年、吹田市でMs建築設計事務所を開設。同年、国産木造住宅の普及を推進するMOKスクールを開設。みずから地方に出向き、買い付けた国産材を建て主に支給する独自の方法で、"まっとうな木造住宅”を手がけている。
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